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今月の特集文化資産


熊本/五木村
(
いつきむら)
   
■関連分類: 祭り芸能

五木村いつきむらつたわる郷土芸能きょうどげいのう」ふるさとのこころまもり、次代じだいつな



 五木村は、「五木の子守唄」で有名なところ、この地に「太鼓踊り」が古くから伝えられている。以下の五地区の太鼓踊り・棒踊りが紹介されているが、起源がそれぞれ異なるとされるのが興味深い。「田口(たぐち)の太鼓踊り」雨乞いや、五穀豊穣、盆の精霊送り等で踊られてきた。現在の演目は「うぐいす」のみとなった。「梶原(かじわら)地区」お囃子の鉦に天明三年(1782年)の銘があることからかなり古くから踊られてきた。現在は踊り手数名となってしまったが受け継がれている。「下谷(しもたに」地区)源平時代、戦場に赴く武士達の士気を鼓舞するために踊ったとされる。太鼓打ちの冑飾り3種あるのが興味深い。「高野の棒踊り」大正の始め八代から来た山師から習ったとされ、かつては神社の雨乞い踊りとして踊られた。現在は、小・中学校の子供たちにも指導し、運動会などでも踊っている。「瀬目(せめ)の棒踊り」1700年代に鹿児島から来た鉱夫から習い覚えたとされる。どの地域においても、踊り手の人数減により、女性も子供も参加して次代への継承を図ろうとしている。

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大分/大分市
(
おおいたし)
   
■関連分類: 祭り芸能

岡倉神楽おかくらかぐら大分市無形民俗文化財おおいたしむけいみんぞくぶんかざい



 大分市野津原町岡倉地区には、明治初期の頃から神楽が伝わる。「岡倉神楽」である。毎年4月第一日曜日には、地域の神社に奉納される。現在17の演目があるとされるが本編では以下5演目が収録されている。「神避(かむやらい)」神の国で須佐之男命が悪さをし、為に天照大神は岩戸に隠れてしまわれた。罰として須佐之男命が神の国を追放される場面を演じたもの。「大蛇退治(おろちたいじ)」須佐之男命が出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)と戦い、酒を飲ませて弱らせ勝利を得、生贄だった櫛名田比賣(くしなだひめ)を助ける場面を演じたもの。「天孫降臨(てんそんこうりん)」天照大神(あまてらすおおみかみ)の子邇邇芸命(ににぎのみこと)が神の国から降りる途中で猿田彦命(さるたひこのみこと)に出遭うが、その形相に驚き恐れた一行の誤解を解いたのが天宇受賣命(あめのうずめのみこと)。「貴弦城(きげんじょう)」海幸彦と山幸彦のお話である。お互いに得意とする道具を交換するが、山幸彦が釣り針をなくし、困っていたところ海の神の「塩槌翁(しおつちのおきな)がこれを助ける話。「綱切り(つなきり)」牛馬の安全、五穀豊穣を祈念する一人舞。四方の神々に祈り、最後に注連縄を切る。

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鹿児島/伊仙町
(
いせんちょう)
   
■関連分類: 口承芸能
技能
島唄しまうた稲作関連伝統行事いなさくかんれんでんとうぎょうじ



 この地域では、昭和40年頃まで水田が至るところ広がっていた。今はほとんど無くなってしまったが、島には稲作に関する伝統芸能が残されている。主なものに、唄名「畦越の水(あぶしくえぬみじ)」(田んぼに畦を作り、水を引く様子を歌ったうた)。 唄名「タンクサカキ(田の草かき)」田の草を手で掻いて取るといううた)があり、田植唄と共通的な歌詞も多くみられる。唄名「田植唄」とは、田植の際に田植衆を励ますために歌われるもので、畦の上に並んだお囃子連がうたを歌い太鼓を打ち、田の中では田植衆が横一線に並び力を合わせて苗を植える。唄名「作たぬ米節(ちくたぬめぶし)」は、田植えが終わり稲が少し伸びた頃、風にたなびく青々とした苗の様子を歌ったうたである。 苗が実り、収穫の時には稲刈り、ハサ掛け、脱穀が行われるが、使用されていた道具類は本土とほとんど同じものが使用された。 道具類には、千刃、足踏み脱穀機、トウミ、電動脱穀機がある。 唄名「稲摺り節(いねすりぶし)」では、伝統的な農作業の様子が演じられ、当時の農業を後世に伝える役割を果たしている。

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鹿児島/知名町
(
ちなちょう)
   
■関連分類: 祭り口承
芸能
知名町ちなちょうえら伝統芸能でんとうげいのう



 九州本島から552Km、沖縄本島から60Kmの奄美群島南西部に位置する。従って、琉球文化の影響を受けてきた。本編は島に伝わる伝統芸能を「知名町伝統芸能祭」を中心に伝えている。「正名(まさな)ヤッコ踊り」昭和初期のころまで、ヤッコ踊りは島内各集落で踊られていた。現在では、正名集落他ごく一部でしか見られない。「下平川(しもひらかわ)棒踊り」一時期途絶えていたが、下平川中学校の有志が再興したという。「久志検(ぐしけん)チンカラ踊り」約200年程前、久志検の旅人が、薩摩に亘り、その時に出遭った踊りや、衣類、小道具等を持ち帰って始まったと伝える。「西目(にしみ)」イシシハカマ踊り」江戸時代終末期、鹿児島に渡った沖野松盛が歌を持ち帰り、それに三味線・踊りを取り入れ完成させたといわれている。「瀬利覚(せりかく)獅子舞」古くは、中国大陸から沖縄本島へ、そして本島に伝えられたといわれる。獅子の形、所作がよく似ていると評される。「上平川(かみひらかわ)大蛇踊り」空中に吊り下げられた大蛇を、所々に付けられた紐を操ってうねり踊らせる大変ユニークで見ごたえのある伝統芸能である。

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