もうくさしょうたいこねんぶつ
舞草鉦太鼓念仏
岩手 / 一関市 ( いちのせきし ) 関連分類: 芸能
盆に新仏の家や墓で念仏を唱え、太鼓を叩きながら踊る、現在の一関市内では唯一の念仏踊りである。
保存会の資料によれば「1189年の奥州合戦では、死者は北上川に投げられ、屍が舞草の地に堆積して首川原ができていた。日夜、亡霊がさまよい旅人は恐れて通れなかったが、たまたま通りかかった畠山重忠が、守護神である薬師如来を祀り、南無阿弥陀仏と唱えたところ、次第に亡霊が成仏した。これがその念仏の始まり」とい う。
また、日向屋敷の惣太郎が鉦、笛、太鼓、舞踊を振付けたものが「惣太念仏」といわれて好評を得て、舞草全土に普及したという。日向屋敷の惣太郎を初代の「称名師」とする文久3年(1863)からの書き物が残っており、現在8代目まで引き継がれている。
毎年8月15日に依頼を受けて地域の新仏の家と墓を回って供養をする。道中を「道太鼓」「門褒め念仏」を唄いながら歩き、家では仏壇の前で「南無阿弥陀仏」、「門褒め念仏」と「回向」を唱える。踊り手が鳳凰や花、鳥居が飾られ幕で覆われた笠をかぶって太鼓を打ちながら踊り、称名師が念仏を唱え、鉦、笛、ささらが奏でられる。墓地では「墓念仏」と「回向」があげられる。また、隔年で観福寺で施餓鬼供養も行っている。
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