いなぶのうちはやし
稲武の打ち囃子
愛知 / 豊田市 ( とよたし ) 関連分類: 祭り 芸能
稲武地区の祭礼では、多くの地区で打ち太鼓が披露される。天正2年武田勝頼の美濃侵攻に際し、迎え討った織田軍は中山神社の社頭で、大太鼓を打ち鳴らし、武運を祈願したと言い伝えられている。それが稲武の村々に伝わり「稲武太鼓(いなぶたいこ)」と呼称されるようになった。
「稲橋(いなはし)八幡神社祭典」大正時代初期に制作された山車は昭和に修復され、今日に受け継がれている。毎年8月の14、15日、山車に付けられた大太鼓を境内に固定し、夜半まで打ち鳴らす。子供は下段で小太鼓を打つ。主に女子中学生が巫女となり、社殿にて、神楽「浦安(うらやす)の舞」を奉納する。
「野入(のいり)神明大社大祭」毎年お盆の後の土曜、日曜日に行われ、大正4年に制作され昭和に修理が行われた山車は、地域の旧道、国道を引き廻し、打ち囃子を披露しながら練り歩く。朝から夜まで太鼓を打ち鳴らし、翌日には、菓子にくじ紙を張り付けて(昔は餅に)これを撒くしきたりがある。
「黒田(くろだ)神明社祭典」現在の山車は、大正13年に制作された二層千鳥破風入母屋(にそうちどりはふいりもや)作りという立派なもので、国道から民家の前を通り、家々の前で止まり、打ち太鼓を披露する。長い距離を引き廻すため、体力を消耗するが境内に戻っても太鼓打ちを続け、また足の振りが独特で、より一層の体力を必要とする。神事では「浦安の舞」も奉納される。
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