1日目[2/21]: 江差餅つき囃子|御嶽神楽|蔵王のはねおどり|根知山寺の延年|大脇の梯子獅子
2日目[2/22]: 明神ばやし|杉沢比山|京太郎|山屋の田植踊|素盞雄神社の天王祭
江差餅つき囃子 (北海道 江差町 ) [2/21上演]
江戸時代、江差には北陸地方や東北地方から多くの人たちが移り住んできました。それらの人たちは江差に商家を構え、北前船による本州との交易によって財をなしました。それら商家では、年末に数俵分の餅を搗いたと記録に遺されています。江差餅つき囃子は、その餅つきの様子を現在に伝えています。唄・笛・太鼓・三味線などで囃子をとりながら大勢の搗き手で餅を搗くさまは、新たな年を迎える喜びを表現しているともいえるでしょう。唄の歌詞には家の弥栄を意味する内容があり、現在では結婚式などの祝賀においても披露されます。
御嶽神楽 (大分県 豊後大野市) [2/21上演]
宝徳元年(1449年)、御嶽神社が創建された際に発祥したと言われる神楽です。
近年、その実力と信条が高く評価され国の重要無形民俗文化財の指定をうけています。
その際の調査研究事業により、江戸後期、藩命による廃絶の危機があり、当時の御嶽神社神主加藤長古の努力により、現在ある形の大野系岩戸神楽の原型が生み出され、現在まで伝わっていることが明らかにされました。
無形の民俗文化財としてその出自の明らかなことや、学術的な裏打ちがとれることでも貴重な芸能であり、豊後大野市のシンボルとして、さらには大分県を代表する芸能として認識されています。
蔵王のはねおどり (広島県福山市) [2/21上演]
福山市内の広い範囲で伝えられている「はねおどり(胴鉦)」の一種です。地元蔵王山の八大龍王社で、かつては雨乞い等で踊られていたことが始まりとされていますが、現在は蔵王八幡神社の秋季例大祭及び前夜祭で踊られています。名前の通り、はね上がるような動きが特徴です。かかとを浮かせ、腰を落とし、はねる様に足を動かし、豪快に舞います。古記録から、江戸時代後期(19世紀前半)には、蔵王町周辺で同種のおどりが踊られていたことが明らかで、隊形や所作も江戸時代後期の形態をよくとどめています。
根知山寺の延年 (新潟県 糸魚川市) [2/21上演]
根知山寺の延年は、糸魚川市根知地区の山寺集落に伝承されている新潟県内で唯一の延年芸能です。舞や神楽など10演目からなり、その中でも有名な「おててこ舞」が、一般に祭の総称として親しまれています。その歌詞の中に、室町小唄の言葉づかいが残っていることから、500年以上前に伝わったものとされています。「延年」という名称は、「遐令延年(かれいえんねん)」に由来します。「遐令」は長寿のことを意味し、芸能によって心を和らげ長寿を祈念する行事として、戦時中も途絶えずに今日まで連綿と受け継がれてきた民俗芸能です。
大脇の梯子獅子 (愛知県 豊明市) [2/21上演]
豊明市の名物行事として知られる獅子舞で、その起原は今から400余年前に、則武之庄大秋村(現名古屋市中村区大秋町)から伝わった五穀豊穣を祈る神事とされています。しかし、梯子獅子の実態が明確になるのは、宝暦年間(1751年~1764年)からで、大脇村の庄屋 相羽養元(あいばようげん)が大いに奨励したため盛んになりました。さらに文久年間(1861年~1864年)には、軽業である一本竹と吊し竹が加わり、現在に伝わる形態となります。51段ある梯子を昇って、高さ12メートルという櫓の上で繰り広げられる華麗で勇壮な獅子舞は、全国的に見ても珍しい豊明市の秋の風物詩でもあります。
明神ばやし (福井県 越前町) [2/22上演]
「オイ!出て来いやぁ!」の掛け声とともに、元気よく子供たちが飛び出し演奏を始める「明神ばやし」。劔神社に奉納される太鼓で、寛文三年(1663年)の再興記録があることから、かなり古くから行われていたと思われ、地元では「台ずる」とも呼ばれ親しまれています。旧織田町では豊年が3か年続いたとき、「お渡り式」という大祭を行いました。この期間中、神輿や獅子舞などの行列が村内を練り歩き、その先頭と後尾の屋台の上で、大人組、子供組が交互に台ずるを打ったといいます。現在の明神ばやしは、このお渡り式から切り離され、公演するようになったものです。
杉沢比山 (山形県 遊佐町) [2/22上演]
杉沢に鎮座する熊野神社の祭礼を中心に演じられる、山伏神楽系の一種です。熊野神社が鳥海山で修行する山伏の宿坊として栄えた鎌倉時代から伝わっていると言われています。地域の住民が連綿と受け継ぎ、衣装、面、小道具なども、その時代時代に修復、新調しながら、ほぼオリジナルの形を継承しているといいます。熊野神社の境内にかけられた三方吹き抜けの舞台で演じられ、大太鼓、笛、銅拍子を囃子に、謡につれて舞われます。能楽大成前の様々な芸能の要素を含んでいるとされ、芸能史上きわめて注目すべきものの一つと言われています。
京太郎 (沖縄県 読谷村) [2/22上演]
長浜の狂言「京太郎(チョンダラ―)」は大正12年、昭和3年頃に演じられ、昭和53年に、およそ50年ぶりに復活上演されました。京太郎は、明治期に那覇の芝居から習ったものと言われていますが、その伝承時期や経路は不明です。長浜の狂言「京太郎」の特徴は、往時の京太郎芸を彷彿とさせる小道具や採り物が、次から次へと登場することです。大きな見どころは、「狂言」と冠されるような滑稽なセリフ回しです。京太郎は、沖縄のそれぞれの地区で表現方法が違いますが、読谷村の長浜には、劇化された京太郎芸が伝承されています。
山屋の田植踊(岩手県 紫波町) [2/22上演]
始まりがいつの頃からは明確ではないものの、奥州藤原氏が平泉において盛んであった頃、里人たちにより田楽、田舞などが踊られ、それがこの地において幾多の変遷を経て、現在の山屋の田植踊として伝承されたといわれています。 岩手県中部地方に見られる座敷田植えの特徴を色濃く伝えており、 初春の 豊作を祈願する 予祝行事が風流化された、きわめて多彩な芸内容を持った田植踊りです。前口上から始まり、「三番叟」から 1年の稲作過程を、歌と踊りで順々に演じます。 演目も多彩で衣装も大変艶やかですが、中でも「笠振り」の妙技は圧巻です。
素盞雄神社の天王祭 (東京都 荒川区) [2/22上演]
素盞雄神社は、荒川区南千住、日光街道に面し、千住大橋の近くにあります。千住の天王さまと呼ばれ、創建は平安時代延暦14年(795年)。天王祭は毎年6月に行われ、3年に一度の本祭には大・中・小(子供神輿)3基の御本社神輿(宮神輿)の渡御があります。通常の担ぎ棒は数本を井桁型に組みますが、素盞雄神社では棒2本のみで担ぎ、屋根の鳳凰が地面につくほど神輿を左右に激しく振って担ぎます。千貫神輿と言われる大神輿は長さ四間半(8.1m)の担ぎ棒2本で担ぎ、大神輿を先頭に中・小と三基そろった「二天棒の神輿振り」は圧巻で、都内でも屈指の勇壮な歴史的祭礼です。
Copyrights (C) 2006-2014 Japan Foundation for Regional Art-Activities. All rights reserved.