一般社団法人 地域創造

出演地域伝統芸能

行山流舞川鹿子躍ぎょうざんりゅうまいかわししおどり[岩手県・一関市]

1.行山流舞川鹿子躍:撮影 石井陽子.jpg ©石井陽子

1700年代初頭に宮城県南三陸町から一関市舞川に伝わりました。鹿角がついた頭をかぶり、自ら唄い、太鼓を打ち鳴らし、背負った「ササラ」を揺らしながら勇壮に踊られるもので、五穀豊穣、祖霊供養といった祈りが込められています。40年ほど続く地元小、中学校への育成活動と共に、女性や地域外からの参加にも早くから門戸を開いたことで、若い継承者も育っています。出身者を中心に立ち上げられた「東京鹿踊」との連携や海外公演、体験受け入れなど様々な取組みを行っています。岩手県指定無形民俗文化財。

重松流祭ばやしじゅうまりゅうまつり                    [埼玉県・所沢市]

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重松流祭ばやしは、天保元(1830)年、所沢生まれの古谷重松(ふるやじゅうまつ)が編み出した囃子の流派です。重松は行商のために近郷近在を歩き、その先々で囃子を伝授したと伝わり、幕末から明治期以降、所沢を中心として多摩地域にかけて広まりました。重松流の特徴は、テンポの良さと屋台囃子の小太鼓二つ(地と絡み)の掛け合いにあるといわれ、囃子に合わせて、三番叟(さんばそう)天狐(てんこ)・獅子・おかめ・ひょっとこ・藤助(とうすけ)外道(げどう)など、様々な踊りが繰り出されます。現在は、所沢市重松流祭囃子保存会の皆さんなどによって保存伝承されています。

下平井の鳳凰の舞しもひらい  ほうおう まい[東京都・日の出町]

3.下平井の鳳凰の舞.jpg

下平井の鳳凰の舞は、(やっこ)の舞と、鳳凰の舞の二庭(ふたにわ)で構成される、全国的にもあまり類例のない貴重な民俗芸能です。残念ながらはっきりとした伝承由来の文献は残っていませんが、雨乞いや悪疫退散の舞として奉納されたそうです。かつては春日神社の祭礼に限らず、度々行われていましたが、明治頃に途絶えてしまいました。昭和初期に復活し、現在では地域住民による保存会の手によって大切に伝承されています。平成18 (2006)年に国の重要無形民俗文化財に指定され、令和4(2022)年に「風流踊」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

大治太鼓おおはるだいこ[愛知県・大治町]

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大治太鼓は江戸時代より尾張南西部に伝わる神楽太鼓を基としています。昭和時代には、各字の社務所で練習し秋祭りなどで披露していたようです。徐々に後継者不足となる中、末永く伝えていこうという住民の熱意と大治町の意向が重なり、平成4(1992)年に大治太鼓保存会が創られ、後継者の育成に努めています。太鼓の特徴としては、非常に甲高い音色で細かなリズムを高速で打ち鳴らします。また座って打つ打法はバチを回転させたり飛ばしたりと曲芸性の高い奏法となっています。近年では、様々な種類の太鼓を使用し組み太鼓も取り入れ、さらに演奏を進化させています。

新城の囃子曲持しんじょう    は や し きょくもち[神奈川県・川崎市]

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囃子曲持はお囃子の調べとともに、米俵や脚立、桶などを使って曲芸を行う民俗芸能です。新城の囃子と曲持は共に明治の初め頃に伝わったとされ、個々に伝承してきた囃子連中と曲持連中が昭和48(1973)年に一体となり、保存会が結成されました。鎌倉囃子の系統を引く軽快なお囃子に乗せて行われる曲持は、約55kgの俵を持ち上げる基本形から、約25kgの俵を脚立や桶などの道具で受け取るなど、他に類を見ない力強い芸が特徴です。昭和52(1977)年に神奈川県民俗芸能50選に選ばれ、昭和53(1978)年に川崎市重要習俗技芸(川崎市指定文化財)に指定されています。

大元神楽おおもとかぐら[島根県・江津市]

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大元神楽は古くから島根県の西部に広くあった大元信仰に由来し石見神楽の原型とされています。一種の農耕神的なものとして村々に祀られる集落の神「大元神」を祀って、6年に一度夜を徹して行う式年神楽です。大元神楽特有の演目や石見神楽と同様な演目があり、ゆったりとした六調子で舞います。氏子の舞だけではなく、神社の神職によって舞われる神事舞が受け継がれており、この中でも「託舞」と呼ばれる神がかり託宣の古儀を伝承されている事が一般の神楽に見られない大きな特徴です。昭和54(1979)年に国の重要無形民俗文化財、令和元(2019)年に日本遺産へそれぞれ指定・認定されました。

江戸火消しの梯子乗りえど ひ け    はしごの  [東京都]

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消防出初式は、年明けの恒例行事として各地で行われています。今日では様々な消防演技が披露される中にあって、「(まとい)振り」や「梯子乗り」、「木遣(きやり)歌」は、江戸時代の町火消の心意気を今に伝えています。梯子乗りの起源は定かではありませんが、万治2(1659)年1月4日に、時の老中稲葉伊予守正則が、定火消総勢四隊を率いて上野東照宮前で顔見世の儀式「出初」を行い、気勢を上げたことに由来すると伝えられています。現在、各自治体の消防出初式において演じられる梯子乗りは、消防職員や消防団員が行っていますが、東京消防出初式では、「江戸消防記念会」がその技を保存、伝承しています。